【橋下徹研究】第3部 茶髪弁護士の誕生(5)サービス業「どんな案件も請け負う」
(産経WEBから引用しています。)
「裁判には負けたけど、橋下さんは私の知りたかったこと、私が思う真実を追求してくれた」。
都内在住の女性(45)は、弁護士時代の橋下徹(39)に仕事を依頼したことのある一人だ。
大阪市内の病院に乳がんで入院していた母親の死をめぐる医療過誤訴訟。
平成9年12月の提訴以来、最高裁で原告側の敗訴が確定するまで4年間に及ぶ裁判となった。
「僕はラグビーで花園に行ったんですよ」「こんなに若い弁護士に託して不安じゃないっすか?」。
女性によれば、橋下は現在と同様、「おなかから出しているような大きい声」で冗舌に話し、
「正義は絶対に勝ちますよ」「一緒に頑張りましょう」などと勇気づけてくれたという。
「弱音をはかず、アグレッシブで、どんどんこちらにも質問してくる。依頼したことへの
レスポンスも早かった。最初に紹介された弁護士なんて、すぐに書類も見ないし、
『あなたの事件だけじゃない』なんて、もったいつけるようなことを言われたりもした」
女性はそう振り返るが、この裁判で相手の病院側についた弁護士は、
橋下の弁護人としての手腕に疑問符をつける。
「原告が主張する一方的な批判を押し通すだけで、彼自身の考えや信念が全く見られなかった。
事務所が近かったので、彼を呼び出して注意したぐらいだ。非常に後味の悪い裁判だった」
むろん双方の言い分が食い違うからこその裁判であり、敗れはしたものの、原告側の女性は
今でも橋下に感謝している。橋下は自著の中で「依頼者が望むのであれば、
どんな厳しい交渉も請け負う。私に持ち込まれる案件は、他の弁護士がさじを投げたような、
こじれにこじれたものばかりでした」と明かす一方、こうも述べている。
「自らがサービス業ということをわかっていない弁護士が多すぎる。
例えば、折り返しの電話をきちんとするとか、エレベーターの前までお客さんをお見送りするとか、
そうしたことすら弁護士はやっていない」
この中の「弁護士」という言葉を「行政」に置き換えれば、知事就任後の橋下の発言と
ダブってくる。「府は府民の目線から見て信頼の置ける組織ではなかった」
「府民サービスを削らねばならないときに、人件費を削減しないのは府民から見て許されない」
「教育はサービス業。その結果を公表できないのは、自分たちが責められるのが嫌だからだ」…。
先月下旬からは、民間調査員に委託し、府の窓口や府立施設の接客サービスについての
覆面調査も始めている。
「もうかってまっか?」「はい、すごくもうかってます」。
“サービス業”に徹したことで、右肩上がりに業績を伸ばした橋下事務所を訪れた知人は、
受付の女性からそう返されて面食らったという。独立から2年後の12年7月には、
事務所も家賃47万円の現在のビルに移転した。
実はこのころ、橋下事務所に入った新人弁護士2人がわずか1週間で辞表を出している。
いわば橋下にとっての“部下”だったが、よほどそりが合わなかったのか。
2人は産経新聞の取材に対しても「何も話すことはない」と述べるだけだった。
「橋下さんは人として尊敬できない」「私のやり方が気に入らないなら、職を変えてくれて結構」。
知事就任後の意見交換会で職員らとそんな言い合いになったこともある橋下。
今月26日に開かれた教育問題の討論会でも現場教員らから、やじの集中砲火を浴びた。
顧客や府民から見る「橋下」と、身近で働く側から見た「橋下」との乖離(かいり)。
それが今後縮まる可能性はおそらくないのかもしれない。
今回の連載で、かつて師事した弁護士、樺島正法(66)が橋下を強く批判したことについて、
橋下は感想をこう述べた。
「ありがたかったですね。まだ1年目の弁護士だった僕に対して同じ土俵でね。
僕だったら正直、1年目の弁護士なんて相手にしませんから」(敬称略)
=第3部おわり
- 2008/12/04(木) 02:59:52|
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